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 予防接種法の改正によって、新型コロナウイルスのワクチンについては、接種の努力義務が課せられることになりました。意見書で反対し、衆参両院の厚生労働委員会でもメンバー(水口、隈本)が意見を述べた当会議としては、残念な結果です。

 このワクチンをめぐっては、2020年11月9日の厚生科学審議会予防接種基本方針部会で、伊藤委員(国立病院機構本部総合研究センター長)が「医療関係の人ほど『本当に大丈夫なのか』という不安があり、積極的に打ちたい人はそれほど多くない」という発言をしています。分かっている人ほど懸念をもつ、そんなワクチンについて、国民に努力義務を課すことが果たして妥当なのか、素朴な疑問がわいてきます。

 改正法は、状況をみながら、接種勧奨と努力義務を解除するという弾力的な対応ができるようになっています。しかし、接種の努力義務が原則で、例外が解除というのは逆ではないか。

 一般にワクチンは任意接種を経てから定期接種をするのが適切とされてきました。それは、臨床試験には限界があり、市販後にいきなり多くの人に接種を勧めることにはリスクがあるからです。そのことも踏まえると、強い危惧を感じます。

 また、努力義務が課されることによって、接種をしないという選択をすることが、実質的にむずかしくなるのではないかという強い懸念があります。政府は国会で、最後は個人に決定権があると繰り返し答弁しています。しかし、権利があるということと、それが実際に守られるのかということは別なのです。

 政府が勧奨し、国民に努力義務を課すからこそ、無償供給や厚い救済が可能になるのだという考えが根底にあるのかもしれません。しかし、ワクチンはもともと公共性の強いものです。努力義務と供給や救済のあり方を切り離して考えることも可能なのではないかと思います。

 当会議では引き続き、この問題に取り組んでいきたいと思います。

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