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 生み、生まれる苦しみ、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病いの苦しみ、死の苦しみ、これら「四苦」が渦巻く現場、それが医療現場だ。それ故に医療現場には医療事故の影がいつも何処かに付きまとう。

 医療事故とは、患者の死亡、患者生命の危険、病状の悪化といった身体的変化や、苦痛・不安などの精神的変化が医療現場で生じた場合を言うとされる。患者が、たまたま廊下で転倒し負傷することなどを完全には防ぎきれないこともあり、医療現場では、医療事故は日常だとさえ言えよう。

 これら医療事故のうち、医療従事者が医療を行なう上で医療的準則に違反し患者に害を及ぼした場合、特に医療過誤と称されている。患者、医療者の立場を分かたず、起きてはならない医療事故が、医療過誤である。

 そうとは言ってみても、医療過誤の報道はついぞ絶えることがない。つい先日も熊本大学病院で、がんではない人の肺を切除したという医療過誤があった。検体を出す段階、または結果報告の段階で生じたミスがその原因なのだろう。もう十数年も前になるが、横浜市大では手術患者の取り違えがあった。病棟から手術場へと患者を受け渡しする際の不手際によるものだ。同じ頃、消毒薬を血管内に注入し患者が死亡したという医療過誤報道もあった。これは、静注用と消毒用の注射器が同じテーブルに置いてあったことから起きたものだ。ステロイドを投与するのに筋弛緩剤を誤投与したり、人工呼吸器の加湿器に水の代わりにアルコールを入れてしまい、患者が死亡するという痛ましい医療過誤もあった。前者はサクシゾンとサクシンという良く似た薬剤名がその遠因だろうし、後者は同じ透明の液体である水とアルコールが同じ様なポリタンクに入っていた為に生じてしまったとも言える。

 医療界では、そうした医療過誤報道の度に、その原因が究明され改善の方向へと舵が切られているはずなのだが、その歩みは遅く、社会には、牛歩にさえ悖ると映る。

「To err is human」
 医療事故の現場では、屢々こうした言葉が医療側から聴こえてくる。

 ひとは誰でも過ちを犯すから、医療過誤の原因はすべてシステムエラーにあるという意見や、医療者はそれぞれに精一杯頑張っているのだから、「四苦」が必定の医療現場に於いては過誤が起きたとしても仕方ないじゃないかとの意見さえある。

 なるほど、検体や患者の取り違えはトレーサビリティの改善で回避できるし、消毒薬を注射器に詰め込んだり、アルコールや水を外見上似通った容器に入れておいたことが原因の事故は、セーフティマネジメントの徹底で避け得る。だから、医療過誤を医療者個人の責としてのみ糾すのは酷な面もある。

 ただ、医療事故が過誤となってしまう原因は、医療者個人の質に依る所も大きいのではないか。患者の切なる訴えをただ漫然と聞き流す、我欲のため患者を利用する。もし斯くの如き傲慢・不誠実が医療界にあるとすれば、これからも、医療過誤は無くなりはしない。

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