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 薬害肝炎訴訟は、02年10月、東京及び大阪地方裁判所に合計16名の原告によって提訴され、03年に、福岡、仙台、名古屋の各地裁に広がり、5地裁において争われることになりました。
 06年6月から07年9月までの1年3ヶ月間に、大阪、福岡、東京、名古屋、仙台の順で5地裁すべてで判決が言い渡されました。
 判決の内容(国の責任)は区々でした。
 フィブリノゲン製剤について、承認の違法を認定した大阪、福岡判決。警告義務違反の違法を認定した東京、名古屋判決。請求を棄却した仙台判決。違法時期を狭く認定した大阪、東京判決。広く認定した福岡、名古屋判決(企業については、5判決すべて責任を認定)
 第衆子複合体製剤については、国賠責任を肯定したのは名古屋判決のみでしたが、企業責任を初めて認めた東京判決。次の名古屋判決で国賠責任にも及んだのです。
 原告たちの心境は、切り捨てられた原告仲間への思いやりから、悲しみのくりかえしでもありました。
 原告団の目的は、責任に基づく謝罪、被害救済と薬害根絶です。そのためには、まずもって国の法的責任の明確化こそが不可欠でした。
 そして、〇碧,任旅颪寮嫻で定、国会論戦による政治問題化とメディアを介した社会的問題化、政府(厚労大臣、首相)の政治決断が必要と考えました。
 解決に向けて大きく動き始めたのは、安倍首相辞任直後からでした。
 解決への第1の要因は大阪高裁の和解勧告(11月7日)でした。
 この和解勧告は和解案が国の意向に従ったもので、原告の求める全員一律救済が望ましく、それが出来ないのは国の譲歩がないことが原因であると表明し、「司法の限界」「政治決断の必要性」が浮き彫りとなったわけです。
 第2の要因は国会の動きです。
 7月に与野党逆転現象をもたらした参議院において、第1党の民主党が中心となって薬害肝炎救済に動き出し、国会審議を沸騰させました。
 第3の要因は原告団のメディアを介した行動への多くの市民の支持です。
 国会で、官邸で、街頭で、記者会見場で…。原告たちの怒り、悲しみ、期待、挫折がくりかえしメディアに露出しました。全員一律救済の籏を掲げて、他人のために頑張る原告たち。責任を曖昧にして、和解金額を上積みする厚労省。その対立が国民の怒りに火をつけたのです。12月20日は大阪高裁和解案に対する国の更なる譲歩案の提示に対し、原告団は直ちに拒否、和解交渉打切宣言に及びました。
 福田総理総裁の「立法による全員一律救済」表明は、その3日後でした。そして、薬害肝炎救済法の制定と総理談話、原告団と国との基本合意書の締結と厚労大臣・首相の原告団への謝罪へと展開しました。
 基本合意の内容は、(1)責任と謝罪(2)給付金支払、(3)被害回復のための恒久対策と薬害再発防止のための定期協議でした。
 薬害肝炎事件は提訴以来5年3ヶ月を経て、やっと全面解決に向けて動き始めたのです。
 原告団・弁護団の課題は山積しています。
 第1に、原告団と被告企業らとの間において、被告らが責任を受け入れた謝罪を前提とする基本合意書が締結されていないことです。
 第2に、肝炎患者への恒久対策です。
 原告団はウィルス性肝炎対策に関する基本立法を求めています。一刻も早く、肝炎対策基本立法が制定され、治療体制整備、医療費負担助成等の法律制度化が必要です。
 第3に、薬害の再発防止です。
 薬害肝炎事件の検証を行い、検証に基づく薬害防止策を実施することが求められています。                                 以上

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