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製薬会社の使命は科学的な根拠に裏付けられた優れた薬を創り出し、これによって人々の病を治し、苦痛を軽減することだったはずである。それがいつの間に「科学の外観をまとったグローバル・ビジネス」に変わってしまったのだろうか。
 講演では、まず不安神経症やパニック障害と呼ばれる問題を抱えた患者が紹介される。“病気”というものがどのように定義され、その概念やイメージがどのような過程を経て拡大され、変えられてしまうのかが具体的な事例で示される。そして、その裏では薬を売り込むためのさまざまなたくらみが行われている。売れ行きを増やすのに役立つ論文なら、製薬会社が何万部でも買い上げて配ってくれるし、薬の効き目や安全性に問題があるという論文でも書こうものなら、本の販売を妨害したり、自分たちの薬に有利な別の論文をゴーストライターに書かせて対抗する。講演会場にスパイを潜り込ませて、都合の悪い相手を誹謗中傷することも平気でやってのける。これは、もはや科学や学術の世界ではなく、自社の利益を守るためには何でも許されるビジネスの世界である。
 そして、話はいよいよ新しいタイプの抗うつ薬、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)に及ぶ。セルトラリンやパロキセチンなどと呼ばれるSSRIが、小児には無効なだけでなく、自殺や異常行動の原因になっていることを指摘し、その臨床的意義について疑問を投げかけたのがヒーリー教授だった。しかし、そのような問題が指摘されても、メーカー側には強力な後ろ盾があった。学界を牛耳っている権威者たちである。製薬会社の依頼でゴーストライターが書き上げた論文には、SSRIの有効性と安全性が強調され、その表紙にはこれらの有力教授たちの名前が書き連ねてあった。データはSSRIによる自殺者がプラセボとかわりなく見えるように改ざんされていた。このようなデータは、SSRIをめぐる自殺や傷害事件の裁判の過程で明るみにでたものであり、このようなことがなければ、おそらく誰にも気づかれないままに済んでいたに違いない。
 製薬会社のたくらみはこれだけにとどまらなかった。SSRIの処方量を増やすためには、精神科だけに限定せず、内科・小児科・皮膚科・耳鼻咽喉科・婦人科などあらゆる臨床科で使えるようにする必要がある。そこで適応を増やすための工夫が加えられた。新しい疾病概念を創り出し、それを適応症として処方の機会を増やすのである。たとえば、「気分安定薬」をキーワードにして検索してみると、発表論文数は90年代以降に急激に増加する。つまり彼らの戦略は、新しい“病気”の概念を創り上げ、“患者”を増やし、薬の売り上げが増えるように適応を拡大してゆくのである。
講演の最後に示された事例は、アメリカで出版された小児の双極性障害に関する絵本のの話だった。

医師:きみの目はどうして緑色で、髪の毛は茶色になったんだろうね?
ブランドン:ぼくのママの目はみどりいろだよ
 (お母さんは、ブランドンの柔らかな髪の毛に指を通しながらいいました)
母:それに、あなたのパパの髪の毛は茶色よね
医師:双極性障害も同じことなんだよ。きみは遺伝子でそうなったと考えられる んだ。・・・・双極性障害の人を助けるための良い薬があるんだ。とにかく、すぐに一つ飲むことから始めようじゃないか・・・・。

 まるで「赤頭巾」の童話を思わせるような優しい口調で、ソウキョクセイショウガイとはどんな病気なのか、どうして薬を飲まなければならないかを語りかける医師の説明を読んでいると、実はオオカミは製薬会社なのではないかと言う気がしてきた。すでにこのような絵本が7万部も売れているというアメリカの現状を聴くと、「病気づくり」、「病人づくり」もここまで来たのかと、恐怖感さえ覚えたのである。

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