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 脳循環・代謝改善剤とは脳循環や脳代謝を改善することにより, 脳機能の回復効果を期待して使用される薬剤の総称である。添付文書に記載された効能・効果をみると、「脳卒中後遺症、脳動脈硬化症、頭部外傷後遺症に伴う諸症状(頭痛、頭重、易疲労性、注意力低下、記憶障害、意欲低下)」などと記載されている。「諸症状」という表現のいい加減さにまず驚かされるが、この中味は薬によって多少異なる。耳鳴り、睡眠障害、のぼせ感、四肢のしびれなどを挙げている薬もある。脳循環・代謝改善剤の売れ筋と思われる薬が、軒並み承認取り消しになったことはまだ我々の記憶に新しい。一九九八年五月一九日に、事実上の承認取り消しとなった4成分だけでも、承認以来の売り上げ総額は約八七五〇億円にも上ると報道された。我々がこの薬のことを少し調べてみようと最初に思ったのはそれより九年ほど前のこと、「ホパテ」という脳循環・代謝改善剤が脳症を引き起こすという理由で劇薬指定を受けたことがきっかけだった。日常診療の経験から、あまり効果がなさそうだと感じていたこともあって、この類の薬の治験論文をきちんと読んでみることにした。早速メーカーから論文を取り寄せてみて驚いたことは、その治験論文の中味が、どれをとってもそっくりだったことである。症例の選び方・観察期間・評価方法・解析法・考察・結論など論文の体裁が同じである上に、結論の飛躍、解釈の誤りまで、すべてが恥ずかしくなるほど似ていた。しかも、なぜこれらのデータで薬が効いたことになるのか、何度読み返しても分からない。そこで、その疑問をまとめて論評した(TIP「正しい治療と薬の情報」四巻、一九八九年)。何人かの知人から、面白い、同感である等の感想は聞かされたが、それ以上の反応は医学界からはなかった。同じような内容を一般誌にも書き、TIP誌の仲間が関係学会で発表したが、厚生省もメーカーも沈黙をまもるだけだった。そして九年後、思わぬところから援軍が現れた。高騰する国民医療費の抑制を図るため、大蔵省から厚生省に圧力が加わり、承認の見直しということになったのである。
 薬はもともと危険対益比を考慮して用いるべき商品であり、有害な薬と同様に無効な薬を排除することも薬害防止の上で重要であるとの認識から、オンブズパースン会議では一九九八年六月から、この問題に取り組むことになった。戦略の一つは各地のタイアップグループの協力を得て、[1]今回事実上の承認取り消しとなった脳循環・代謝改善剤の購入額等について情報公開請求すること、[2]その結果に基づき販売代金返還を求めて住民監査請求を行うことであった。この計画は仙台、福岡、東京、名古屋の各地で実行に移された。
 各地それぞれに抵抗があり、門前払いの結果に終わった所もあったが、仙台では自治体の長が製薬会社に対する返還請求を怠っている事実が違法であることの確認を求め、市に納入した医薬品卸業者に対しては、代金返還の請求訴訟を起こした。
 残念ながら、仙台地裁は今年六月四日、住民の訴えを却下する判決を下した。地裁の判断は「厚生省によって効くとされていれば、実際に効くかどうかは売買契約の有効性には無関係」という考えに基づくものであり、効果があることを信じて治療を求めた患者側の立場に全く配慮していない辻褄合わせの判決というほかなかった。しかし、脳循環・代謝改善剤の無効性と日本の新薬承認制度がもつ問題点を法廷の場で証言し、被告も裁判官もこの住民の問いかけにきちんと答えられなかったという事実は重要である。住民原告は六月一八日に控訴し、控訴審第一回期日は今年の十一月七日に始まることになっている。

用語説明
脳循環・代謝改善剤:
脳の循環や代謝を改善する薬理作用を持つとされ、脳梗塞や脳出血に伴う意欲低下、情緒障害を適応症とする。痴呆に対する有効な治療法がないことから、開業医も含め医療現場で広く使われてきた。

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