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 わが国で初めて大阪帝大で医学概論を教授した澤瀉久敬は、「医学」は人間的なもの、ヒューマニスティックなものであり、人間を対象とするものであることを医療に携わる者は一瞬も忘れてはならないと強調した。自然現象を空間の立場で考察するデカルトの原理に立つ西洋医学では時間と不可分の生命現象は分析できないとして、二度と同じことの起こらない生命現象は自然科学では研究できない、真に生命的な 一 回限りの現象は自然科学の対象とはなりえないと説き、医学を生理学や生物学と同一視してはいけない、生理学や生物学は生命現象の法則を尋ねる認識の学であり、それらと病気を治療しようとする実践の医学とは概念的にはっきり区別されねばならないと語った。

「医学が、人間を対象とすることなど言うまでもないことだと医師は言う。そう言いながら、人間とは何であるかを正しく理解しない医師がいる」と医師に対し警鐘を鳴らし、医学は「最も遅れて科学化した学問」であって、「医学には、なお、非科学的な要素が多分に含まれている」と指摘、「その点、医学者には、他の科学者に比して科学的性格が劣っている場合が少なくないようにも思われる」と、皮肉とも取れる言葉で医師たちに向け痛烈に自覚を促した。科学を万能と考える医師たちには、科学を絶対化せず「生」を「科学」の上位に置くべきだとして、「生」を全体としてとらえるための哲学、宗教の必要性を説いたのである。

 翻って現状の「医学」を鑑みると、澤瀉の説いたものとは大きく違った姿が映ってくる。

 例えば、薬害サリドマイド被害者の増山ゆかりさんは「薬害が繰り返される理由は多々あるが、結局のところ薬害被害は国や製薬会社だけでなく、医療に関わる者すべての人が真摯に被害に向き合わない限り終わらない、社会は薬害サリドマイド事件以降も続く、薬害被害に遭うという理不尽を超えられない」(「視点 薬害サリドマイド被害者の今」本紙No.56)と記している。また、HPVワクチン東京訴訟の第4回口頭弁論では「助けてほしいと声をあげている私たちをみてください。いないものとしないでください」との切なる声もある。

 なるほど今の医学がEBMと称され「エビデンス」に基づいているものであったとしても、この「エビデンス」だけでは、ひとり一人の「やまい」の十全な診断・治療は行い得ないだろう。一般の疾病に対してなら、そのEBMは有効なのかも知れないが、希なもの、治療困難なもの、あるいは精神に関わるものなど、既存のEBMでは診断・治療が出来ない「やまい」も多々あろう。ビッグジャーナルに載せられたビッグファーマ主導の治験結果をもって「エビデンス」と断じ、それを盲信するのみで、眼前の「やまい」には目を背けるような人々には、是非とも上記澤瀉の吟味をお願いしたい。

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 蓋し至言であろう。

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