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 2014年に亡くなられた経済学者宇沢弘文氏は、著書「経済と人間の旅」の冒頭の文章「人間回復、考える時に」の中で、つぎのように指摘している。宇沢氏によれば、日本は戦後、驚異的な経済成長を遂げたが、その過程で美しい自然は失われ地域社会は崩壊し、国や行政が強権を発動してダムや堤防を地元に押し付けるという人間不在の政治、行政の論理ばかりがまかり通り、しかもこのような施策に国民の税金を費やした結果、日本は巨額の負債を抱えるに至り、この莫大な借金を背負ってこれから何十年も生きていくのは私たちの子どもたちだ、というのである。宇沢氏はその後の文章で「私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。」と続けている。この宇沢氏の論説に出会った時、私の頭の中にはすぐに「患者不在の(製薬)企業の論理ばかりがまかり通る」、「患者不在の医療」という言葉が浮かんだ。また「経済学」を「医療」に置き換えれば、宇沢氏の述懐はそのまま、現代医療にぴったりと当てはまるのではないだろうかとも思ったのである。

 本誌56号において、サリドマイド被害者の増山ゆかりさんは「薬害被害は国や製薬会社だけでなく、医療に関わる者すべての人が真摯に被害に向き合わない限り終わらない」と指摘した。そのとおりである。因果関係の議論の前に、まずは被害と真摯に向き合うべきである。被害と真摯に向き合わないならば、それは「患者不在の医療」に他ならない。

 なぜ人間不在の企業の論理がまかり通り、患者不在の医療が幅を利かせてしまうのか? そこには、事実と丁寧に向き合うことから出発するという、科学・医学の原点を見失っているという根本的問題が存在しているように思う。

 HPVワクチン被害者ひとりひとりの事実に向き合うことなく、ワクチンの有効性・安全性、公衆衛生学的必要性の議論にのみ終始し、子宮頸がんで苦しむ人をなくすためには接種推奨が必要だと声高に求める専門家たち。HPVワクチン被害を訴えることが、あたかも接種推奨の妨げになっているかのような言説を流布する専門家たち。彼らは、HPVワクチン被害に苦しむ少女たちとその親たちが、子宮頸がん患者の苦しみを理解していないとでも言うのだろうか? ワクチン接種により健康を奪われ、副作用被害という事実に直面せざるを得なかった少女たちだからこそ彼らは、同じように病に苦しむ人の辛さを理解できるのである。そして彼らは自らの体を賭して、これ以上苦しむ人を出さないで欲しいと訴えているのである。

 HPVワクチン東京訴訟、第4回口頭弁論での「助けてほしいと声をあげている私たちをみてください。いないものとしないでください。」という原告の言葉を今一度、全ての医療者が受け止めてくれることを切に願う。

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