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●原因薬
 抗生物質や解熱鎮痛剤の筋肉注射。筋肉注射自体の物理的刺激と薬剤の持つ化学的刺激によって筋肉組織が壊死し、その修復過程において瘢痕が生じることがあり、これが拘縮を引き起こすこととなる。筋肉注射薬の作用だけでなく、注射薬の不適切使用という医療行為を原因とするものである点において、医療過誤の絡んだ薬害ともいわれる。

●被害
 傷害された筋肉の箇所にしこりや陥没が見られる。また、部位に応じて様々な運動障害が見られる。このような瘢痕が生じた部位によって、大腿四頭筋拘縮症、上腕三頭筋拘縮症、三角筋拘縮症、臀筋拘縮症と名称が分かれる。以前は「筋短縮症」と称されていたが、現在では「筋拘縮症」が広く用いられている。

●被害発生の経過
 輸液療法が確立されていなかった1970年頃まで、風邪で小児科を受診した場合、内服薬よりも、上腕、大腿筋、臀部などに抗生物質や解熱鎮痛剤を大量に注射することの方が多く行われていた。  しかし、注射薬の副作用情報が製薬会社によって十分に収集されず、また筋拘縮という障害がおこる可能性等について医療機関に十分な情報伝達がされなかったため、幼児を中心に多くの筋拘縮被害が発生した。また、注射は小児科などが担当し、拘縮症の治療は整形外科が担当することから相互連携が不十分となったことも、被害拡大の一因である。  1946年から1974年までに859名の症例が確認されていたが、この疾患が注目されるようになったのは、静岡県伊東市(1960年〜)、福井県今立町(1969年〜)、山梨県富士川流域(1973年〜)といった特定の地域で集団発生してからである。  特定の地域や医療機関において多発する例が見られたため、一時は地域的な奇病、伝染病、遺伝病とされ、中には社会的偏見に苦しみ一家心中に追い込まれるという悲劇も存在した。  1973年に山梨県で多発した大腿四頭筋拘縮症について、県や医師会が「原因不明」としたため、患者の家族が東大医師グループの協力を得て「自主検診」を始め、同検診は全国的な規模に広がった。その後、1976年、日本小児科学会内に設けられた検討委員会は、筋肉注射が原因であることを発表し、ようやく安易な筋肉注射の中止が呼びかけられた。  1977年の厚生省の発表によると筋拘縮症被害患者は9657名。自主検診によって確認された全国の患者数は8583名。ただし、両検診を重複して受けた者は少ないため実際には数万人にのぼると推定されている。

●訴訟
 1973年に福島の被害者3家族が、医師、製薬企業、国に対して損害賠償を求める訴訟を提起し、続いて全国各地で訴訟が起こされた。1983年の福島地裁判決では、医師及び製薬企業の責任が認められたが、国の責任は否定された。他方、京都滋賀訴訟では、1996年、18年に亘る審理の結果、医療機関と製薬会社は和解金を支払い、国は筋拘縮の発生の原因を認識し今後とも公衆衛生の向上に努めることを内容とする和解が成立した。

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