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●原因薬
 成分名サリドマイド。西ドイツ(当時)のグリュネンタール社(グ社)が開発し、催眠薬「コンテルガン」として1957年に発売。日本では、大日本製薬蠅1958年に催眠薬「イソミン」を発売。さらに1960年に発売した胃腸薬「プロバンM」にも含有されていた。その後他社からもサリドマイド製剤は発売されるが、シェアは大日本製薬が大半を占めた。

●被害
 妊娠初期の妊婦が服用すると胎児に奇形を生じる(サリドマイド胎芽病)。肩から手首が直接出ているケースがよく知られるが、奇形の部位や程度は様々であり、聴覚や心臓・内臓に障害が及ぶケースもある。日本の認定被害児は309名だが、実際の被害児数は1,000〜1,400とする推計がある。また、被害児のみならず、自らが服用した薬でわが子を苦しめる結果となった母親にも深い心の傷を与えた。

●被害発生の経過
 西ドイツで発生していた重症奇形について調査したW.レンツ博士は、1961年11月、調査した21例中14例で母親がコンテルガンを服用していたことを確認し、グ社に対し、奇形の原因ではないことが証明されるまでコンテルガンの販売を停止するよう求めた(レンツ警告)。グ社は、同年11月27日、コンテルガンの販売中止と回収を決定する。
 これを受けて大日本製薬は厚生省と対応を協議するが、レンツ警告に科学的根拠はない、動物実験での確認が必要などとして販売を継続。やがて日本でもサリドマイド問題が報道されるに至って、1962年5月にイソミンが販売中止、9月にプロバンMが販売中止となるが、回収は不徹底で1969年まで被害児の出生は続いた。
 奇形と薬の関連を強く示唆するデータと、被害の重大性を考えれば、レンツ警告は極めて正当といえる。科学的証明がないとして国・製薬企業が対策を先送りした経過からは、その後の薬害事件に共通する構造が見てとれる。

●訴訟
 1963年6月の名古屋地裁を初めとして各地で国及び製薬企業を被告とする訴訟が提起される。審理は東京地裁を中心に進められ、1974年10月26日和解成立。

●事件後の制度改正
 行政が医薬品の有効性・安全性を厳しくチェックするという、今では当たり前の考え方は、この事件をきっかけに世界で認識されるようになった。日本でも、二重盲検比較臨床試験等の客観性の高い臨床試験を要求するなど、行政指導によって承認審査が厳格化され、1967年の薬務局長通知「医薬品の製造承認等の基本方針」では、承認申請添付資料の明確化、新開発医薬品についての製薬企業の副作用報告義務などが定められた。

●サリドマイドの「復活」
 サリドマイドはその後新たな薬効が発見され、ハンセン病治療薬として販売されたブラジルでは新たな被害児を生んだ。日本では、多発性骨髄腫の治療薬として2008年に承認されたが、被害の再発を防ぐため、厳重な管理ルール(TERMS)が定められている。

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