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 オリンピック開催に沸くイギリス/ロンドンを訪れました。5月末というのに汗ばむほどの陽気が続いていて、テムズ川沿いのBARは何処もビールとフィッシュアンドチップスを注文する観光客で賑わっていました。

 そこに世界各地から300人余りのサリドマイドたちが、被害50周年式典に参加するために集いました。イギリスのサリドマイドたちが主催する式典の壇上では、被害者救済のために尽くした人々を賛美するスピーチや、被害者たちの歩みを紹介するビデオの放映など何時間も続きました。

 被害者の歴史は、命の淘汰から始まっていました。赤ちゃんの産声を聞いた母親に「死産だった」と説明する医師の話など、人の手による命の処分を疑わずにはいられないものでした。生まれながらに障害のある子は先祖の悪行の報いを受けているとして忌み嫌い、日本と同様に奪われた子どもの命が多くあったということを理解しました。淘汰を免れても被害者には差別や偏見に晒された、筆舌に尽くしがたい人生が待っていました。

 手足や耳に奇形があるサリドマイド被害者は、人々に好奇の目で見られることが多く、不具の子どもがいると近所の人に気づかれないよう、庭に掘った穴の中でしか遊ぶことを許されなかった子どもの話など、居たたまれない気持ちで聞いていました。

 薬害サリドマイド事件によって、人の命を救うはずの医薬品も、間違いがあれば人の命を奪うことがあると人々は知り、薬事行政が見直されることになりました。重篤な内臓疾患を抱える被害者の多くは、大人に成長することもなく静かに短い生涯を終えました。被害者総数の70〜80%が死亡したと指摘する声も多くあります。被害者にとってサリドマイド薬害被害は何をもたらしたのでしょうか。私たちのように障害や病気を抱えて生きる人は、どんな形の幸せを求めれば良いのでしょうか。自分が飲んだ薬で障害を負った我が子を不憫に思い、今もなお罪を犯したという呪縛から解き放たれることもなく、重い十字架を背負い続ける初老のイギリス人の父親の「こんなことになるなんて」という呟きは、深刻な被害の一片をのぞかせているに過ぎないのだと思いました。

 被害者の多くが50歳を迎えた今、私たちは健康問題という課題を抱えています。もともとサリドマイド剤の血管新生を阻害するという副作用によって、発育が十分でないことが指摘されてきましたが、全身の血管の太さや走行の仕方に異常があるなど、予想以上に深刻であることが分かってきました。

 血管が細い私の採血は看護師泣かせでした。足首など見えている血管に注射し、うまくいかなければ聴診器を当てたりしながら、脚の付け根など深いところにある血管を針で探ります。ばんそうこだらけになった足に恐縮する医師や看護師に、無事に検査ができる喜びでいっぱいの私は、ビッグスマイルで返します。

 こんな私に2年前に悪性腫瘍が見つかり、手術して切除することになりました。手術前のMRIやCTの検査は私にとって血管の走行を確認するという意味もあり重要な検査でしたが、造影剤用の太い注射針が血管に入らずに予定していた検査ができない事態に陥りました。医師の悪戦苦闘の結果、手術に踏み切ることができました。しかし、手術後の抗がん剤の投与は点滴で行うことはできず、経口剤で治療することになりました。同様のことが世界中のサリドマイド被害者の身に起きています。サリドマイドである故の困難が、治療を難しくして、助かるような病気で命が脅かされるという事態に、です。

 誰の人生にも約束された幸せなどありませんが、希望を捨てず困難に堪えてきたサリドマイド被害者が、今になって憂い苦しみ人生の扉を閉じることになるなど私は認めることはできません。薬害被害の深刻さは伝え切れていません。

 ようやく長い式典が終わり、夜のパーティのためにドレスアップしたサリドマイドたちが再び会場に集まり、流れるビートルズの曲に合わせ軽やかにステップを踏んでいました。起きてはいけないことが起きて、たった一度の人生において取り返しのつかないことになっても、なお力強く生きようとするサリドマイド被害者の姿は圧巻でした。薬害被害に遭ったこの命を全うすることは、何が起きたかを知るだけではなく、命の有り様を知ることだと思いました。

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