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治療的ニヒリズム(therapeutic nihilism)という言葉が最初に語られたのは19世紀の半ば頃だと言われている。「薬など海に沈めてしまえばヒトはもっと幸せになるだろうが、魚は迷惑するだろう」とか、「医者ができることはせいぜいのところ自然治癒力を手助けするだけのことだ」と言われたのも、抗生剤やステロイドホルモンなどもなかった時代背景を考えれば当然だろう。しかし、病気のメカニズムが分子レベルで解明され、そのような理解をもとに様々な物質が自由に創り出せるようになったいまこそ、この治療的ニヒリズムの意味をふたたび考えてみる必要があるのではないだろうか。分子レベルで分かったとは言ってもそれは生体の神秘のごく一部を垣間見ることができたというに過ぎない。われわれの健康をささえている絶妙なバランスや、一旦病気になったあとの快復の過程を考えてみても、そこには我々の理解の届かない、創造主の設計図がみごとに表現れていることがわかる。複雑なシステムのなかのごく一部に手をつけただけで、全体は予想もしなかった方向に動いてしまう場合がある。毎日を耐え難い苦痛や不安の中で過ごしている患者の願いや夢に応える努力は大事だが、ヒトの健康や寿命が自由に操れるという思いこみがどんなに不遜なことであるかも常に心のどこかにとどめておくべきである。新薬の開発にあたる人々は、自分たちの知識や技術の不完全さを忘れないで欲しいし、また、その事実を隠さないで欲しいと思う。

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