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メダワー氏はイギリスのNPOで医療を考える市民運動組織「ソーシャル.オーディット」の代表である。この組織は企業や国からは独立して6人で運営されており、調査して生じた疑問を行政、企業、社会に投げかけてきた。臨床試験データや情報を支配している「科学」についての深い洞察と、問題解決に向けての具体的な考察は、大変参考になるものであった。あるべき「科学」の姿を追求するメダワー氏の良心と誠実な人間性が活動を支えていると感じたが、6人のメンバーのもとには、多分、多くの人達によるネットワークがあるのではないかと思う。メダワー氏の講演は、私達の前途にますます困難があることを明らかにしたけれど、「その時歴史が動く」例をも示してくれた。
SSRIとよばれる抗うつ薬の一つパロキセチンがイギリスで認可されたのは1991年である(日本では2000年に承認)。メーカーは薬の使用を中止したときに生じる離脱反応の危険性は0.2%であると言いつづけていたが、2003年6月この記述を25%(なんと125倍)に修正して添付文書を書き換えた。4人に一人に離脱症状がおこる危険性を公式に認めさせた背景には、「ソーシャル.オーディット」の抗うつ剤ウェブサイトで離脱症状、自殺、暴力行為を引き起こす可能性を警告して、多くの患者からの報告があったことがある。しかしメダワー氏の規制当局への働きかけはほとんど6年間無視され続けており、BBCテレビがパノラマ番組(2002年10月)で患者の生の声を放映したことで壁が破られたという。メダワー氏はパノラマに寄せられた1400通のメールを読んで、患者の表現と規制当局の公式表現の大きな違いに驚く。患者の表現した離脱症状は、たとえば「顔を横に動かすと、目が飛び出してしまいそう」「指がピリピリした感じ」は、公式表現では「眼球異常感覚」「錯感覚」となってしまう。実感を伴った患者の声が、メーカーの秘密主義を破る力になったのである。
メダワー氏の講演を聞いてからしばらくして、WHO主催で1999年10月に開催された「単極性うつ病に関する国際会議」の記録を見て、意外なことに気づかされた。この会議では「SSRIはうつ病の最も有効な第一選択薬か?」と題して、新しい偏見のない証拠資料を提供することを目的にしてYES派とNO派でディベートが行われている。しかし副作用は争点であったにもかかわらず、すでに問題になっていた自殺行為や離脱症状についての議論がほとんどなされていない。この分野のオピニオンリ-ダーが集まった会議であったはずであるが、なぜ見過ごされてしまったのだろうか。専門家の意見形成は学会、研究会、学術専門誌などで行われるが、こういった場所はその分野の治療薬を販売する製薬企業の裏方支援が大きいと言われている。これらの企業から出される情報が多ければ多いほど、皮肉にも患者の声はかき消されてしまうのだろうか。
WHOでかき消された患者の声は2004年6月にも息を吹き返すことになった。パロキセチンのメーカであるグラクソ・スミスクライン社が、小児思春期患者の自殺行為にかんして臨床試験データーを隠蔽していたとしてアメリカ、ニューヨーク州当局から提訴されたのである。一方日本では昨年7月「日本うつ病学会」が設立された。我が国でもうつ病が増加していることに対処するためのもので、学会の理事長は「SSRIなどの新しい薬は副作用が少ないので、一般の先生でも使いやすい」とコメントしている。しかし、メダワー氏の講演やニューヨーク州当局の訴訟に学ぶならば安易な処方、安易な使用、安易な適応拡大はしてはならない。医療者はSSRIの有害作用を十分把握し患者に伝える必要がある。

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